甘い味 nishiki x kimi 2015年10月11日 まだ喰種であることがバレる前のニシキとキミの話。 感じたことのない味を、甘いだとか辛いだとか酸っぱいだとか、そういう形容詞に例えることももう随分と慣れてしまった。 だいたいは姉に教わってきたし、人間の世界に紛れ込んで生活する中で周囲のアホ共が俺の正体も知らず教えてくれる情報を細かにインプットしてきた。理系脳には容易い作業だ。 今目の前でこちらに背を向けセコセコと何やら作ってるあいつもそのアホ共のうちの一人。 そんなモンどんだけ時間かけて作ったってこちとら何も感じやしないのに。 つくづくアホだと思う。「できた!ねぇニシキくん!!」 嬉しそうに台所からこちらのちゃぶ台へ鍋を運んできたこいつを見て、その表情に合わせ笑いかけてやる。 今日は少し砂糖を混ぜて甘めに作ってみたよと言われたので、食ったら甘いと答えようと思う。 あとは美味いとか、なかなかいけるだとかか。 テキトーに味の褒め言葉を並べ立てれば、こいつは顔をほころばせるんだ。 あとで全部吐いてるとも知らずにな。 ちゃぶ台に広げていた大学ノートをそそくさ片付けていると、貴未は鍋敷の上によっと鍋を乗せ、中身をぐるりと軽く混ぜる。 ジャガイモと肉がメイン、あとはゴロゴロとニンジンやら玉ねぎやら糸こんにゃくやらいろいろ混じってる。 その臭いは毎度のことながら胸くそ悪いが、正体がバレるのはさすがに困るので黙っている。 化学式の羅列でも頭に唱えながら、吐きそうな気分をごまかすのだ。「あとね、最後にこれも入れようと思って……!」 台所とこっちの部屋とを行ったり来たり。 貴未がにこにこしながら持ってきた調味料は、小さな袋パッケージに入っていた。「開かないなぁ……、ニシキくんハサミ持ってる?」 持ってないと首を振ると、いつもどこにしまったか忘れちゃって……と。 貴未はその場に座り込み、ウンウンと力任せに袋を開けようとする。 どこかに切り目ねーの?と尋ねても、それが無いみたいで、と。見ていて中身が弾けるんじゃないかとヒヤヒヤするような体勢で開けようとしてる。 俺が開けるからよこせと言おうとしたその瞬間、貴未が袋をぽとりとカーペットに落とした。「痛ったた………」 握って口元に当てる、白く細い指。 そこに一筋の赤い切れ目が浮き出ているのが見えた。 人差し指の側面を、袋の隅で随分深くやってしまったんだろうか。 切れ目からはじわじわと、赤い雫が滲み出し始めていた。「あぁ……これ地味に痛くて困るのに……」 眉をハの時に曲げ恨めしそうに、自分の指を見つめている。 ドクリッ……… 心臓の高鳴りに 唾を飲み込む。 次第に広まり赤く垂れてくるそれを、そばにあったティッシュで拭いとろうとする貴未のもう片方の手を、とっさに握って静止していた。「ニシキ……くん……?」 貴未の戸惑う声など寸分も耳に入ってこない。 気づけば、咥えていた。 貴未の人差し指を丸ごと飲み込むように咥え、舌の表面を這わせて味わっていた。「ちょ、ちょっとニシキくん……何して……」 明らかに動揺し抵抗しようとする声は、俺が滴る血液を絡めとるうち、次第にほだされるのか、静かになる。 ああ……美味んめぇ…… やっぱこっちだ。俺の食料はこっち。 目が血走りかけるのを抑える。 今すぐにその指を噛み切り食したい気持ちを必死に制御する。 ただただ、血の味が美味くて。喉が潤う。 滴る分だけじゃ飽きたらず、切り口からさらに搾り取ろうと口を軽く窄めて吸い込みとる。「あ……やだ………ねぇ………」 上擦る声色に、はたり、と。動きを止めた。 人差し指を咥えたまま瞳だけで見上げると、赤面し固まりきってる貴未がいた。 その目は俺を恐れるそれではない。 熱を上げて、目を潤して、布団の中でだけ垣間見せるその表情。 バカじゃねぇの…… 口膣内から人差し指を引き抜いた。 ぺちゃりと水の音を立て、唾液の糸が引く。 目線を同じ高さに戻しても、まだ動けず固まっている貴未を見て、 哀れだなと想った。「………甘い味」 そう漏らすと、ヒクリと肩を震わせ目をぱちぱちする。 何度見ても新鮮な反応だった。 実際、甘い味なんて俺は知らない。 血の味と、肉の味と、コーヒーの味しか知らない。 だから、今の血の味を甘いと形容して正解なのか、確かめる術すら知らないのだが。 喉だけじゃない。 胸の奥も、感情も。 こいつが笑いかけてくる度にいつも、潤っていく。 なぜだろう。 こいつだから……なのか……? 甘いって……なんなのか。「ニ、ニシキくん、えっと………その………」 俺と机の上の肉ジャガ鍋とを交互に見て困ってる。恥ずかしそうに視線を泳がせおろおろする。 いつも通りの作り笑いを浮かべつつ、顔を近づけてやる。「今夜、いけるか」 わざとらしく耳元でそう囁いてやると、こいつは引きかけていた顔の赤らみをまたじわじわと取り戻す。 素直なやつだな……。 頭を撫でてやると、今度は戸惑いながらも嬉しそうに顔をほころばせた。 何だろな、こいつの感じ。 味はさっぱりわからないが、こいつの血の味だけは選り分けられる。そんな気がする。 甘い味って、何なんだろう。 こいつの体を抱きながらいつもそんなことを考えてしまう。 化学式の羅列を唱えるより、余程気が紛れる作業だ。 自分が喰種であるのか、人間でありたいのか、そんな面倒事を全部すっ飛ばして戯れられるくらいに、気が紛れてしまうのだ。 [0回]PR