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めぐりあひて

二次創作ブログです。原作者様等とは一切関係ありません。

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トッコウ薬

快援隊結成間もない頃の坂本と陸奥の話です。
薬を手に入れた陸奥は果たして。









 それは、長い期間をかけての交渉だった。
 商品、代金、時期、場所。取引先との折衷にはいつも難航する。
 まだ慣れてもいない、「人を笑顔にさせるための商売」。
 陸奥は、緊張しながら、ポンと自己の印をついた。


「これにて交渉成立ですな」
「陸奥、おまん初の大手柄じゃ。ようやったのう!アッハッハッハッハ!!」


 大笑いする坂本をやかましい!と軽く足蹴りしながら、陸奥は机を挟み目の前にいる取引相手へと書面を手渡した。


「いやぁ……快援隊、噂には聞いておりましたがいい商売をなさる」
「アッハッハ!!なんたってわしが艦長やき。古参の隊にも負けんぜよ!」
「調子に乗るな。まだ私たちは軌道に乗り出したばかりだ。艦長のお前がそれではいずれ足元をすくわれるぞ」
「いやはや、副艦長殿はお若いのにしっかりされている」


 肩に少しかかる程の長さの髪、まっすぐサラサラと綺麗に切り揃えられている。
 腕組みをする陸奥は目を細め、隣に座る艦長を呆れたと言わんばかりに見上げていた。
 そんな二人の姿を微笑ましそうに見ている、長い髭の年老いた男性は、二人の長期間に渡る取引の相手方であり、すっかり顔馴染みになっていた。


「では大方これにて交渉成立ですが。あと細々とした書類や手続きは明日以降ということで」
「わかりました。ではまた明日よろしゅう頼んます」


 坂本はそう言うと、カランッコロンッと下駄でスキップをしながら部屋をあとにする。


「おい坂本!」


 陸奥の言葉も届かずウキウキと上機嫌に部屋を出ていった坂本。
 机上には、とりまとめたばかりの書類の束が置き忘れられていた。
 あんのド阿呆が……と、陸奥はため息をつく。


「副艦長殿、ちょっと」


 老人は内緒じゃよ?というように人差し指を口元に添えながら、陸奥に手招きする。
 陸奥は不思議そうに首をかしげながら、老人の座る席に歩み寄った。


「これ、副艦長殿にお礼を」
「……これはいったい?」


 老人の手のひらには、小さなパッケージの包みが乗っていた。
 「試供品」と書かれたそのパッケージには、化粧水のサンプルのようにわずかばかりの内容物が入れられているようであった。


「そちらの商品の試作品ですか?」
「試作品というより、既にいくつかの星で販売しております。これは10000円以上お買い上げのお客様に渡すサンプル品なのですが……」


 老人は陸奥の耳に手を寄せて小声で耳打ちした。


「惚れ薬、です」


 えっ?と驚く陸奥。
 その表情は、十代半ば相応の驚くような、照れるような反応であったから、老人は微笑ましそうに笑いかけた。


「あなたを見ていたらわかりますよ、副艦長殿」


 何が、わかるというのか……。
 陸奥は尋ねなくても、心当たりはあった。
 胸がとくんと鳴り揺れた。


「そちらには契約の折衷にだいぶ譲歩してもらった。これはそのささやかなお礼です。サンプルゆえ、効き目は強すぎないと思いますが。まあそれでちょうど良いかと」
「こ、こんなもの……私に使い道は……」


 老人は、陸奥の手にそっと握らせると。よいっと杖をとって立ち上がり、部屋をあとにしようとする。


「あ、あの!」
「不躾かもしれませんが、なんだかあなたと艦長殿を見ていて、もどかしく感じましてな。……応援しておりますよ」


 ホッホッホ、と。明るく笑いながら老人は部屋を出ていってしまった。
 包みを握ったまま、陸奥はしばらくその場で茫然としていた。








* * * * *



「……どうしよう」


 快援隊艦内の休憩所。
 ベンチに腰を掛け、陸奥は缶ジュース片手に、じっと考え事をしていた。
 惚れ薬など、どのような使い道をするのか、誰を対象に使うのか。
 ……そんなこと、陸奥は当然のようにわかっていた。

 ずっと想い続けてきた。
 いや、正確には、気づけば想ってしまっていた。
 何気ない挨拶も、会話も、仕草も、
 ふと気を抜けば、心を持っていかれてしまう。
 情けないとはわかりつつも。陸奥はどうにも気持ちを処理できなかった。


「私は……あんな、モジャモジャ男のことを……」


 カァア……と顔の熱が上がってきた陸奥は、思わず両手のひらで顔を覆った。
 熱を振り払うように、首をブンブンと振る。しばらくすると少しだけ落ち着いた。

 とはいえ、薬を使ってまで人を惚れさせることにどれ程の意味があるのか。
 それで自分は満足するのか。
 陸奥は反面冷静になって考える気持ちもあった。
 わからなかった。
 坂本を自分に惚れさせることを、本当に自分が望んでいるのか。わからない……。そんなことをして、一体何に…………


「おーい陸奥ー?何しゆう??」
「うわッ!!」


 目の前に突然現れた坂本に、陸奥は座った体勢のまま勢い余って必殺一蹴りをお見舞いしてしまう。
 足のつま先を尖らせたその攻撃は、難なく坂本の股間に命中した。


「おわぁぁぁああ!!」
「い、いきなり出てきたお前が悪い!!」


 床で転げ回る坂本を目の前に、ああ、またやってしまった……と軽く後悔する陸奥。
 口より先にいつも手足が出てしまう。最近は拳銃を使うことも覚えてきた。
 いずれにしても、照れ隠しゆえなのだけれど……。

 きっと坂本にはそうは映っていないだろう。
 半ギレしながら陸奥を睨み付ける坂本は、ようやく平静を取り戻しつつあった。


「いきなり違うぜよ!さっきから呼んぢゅうのんに、おまんが返事せんき!!」
「そ、そうか………すまない。少し考え事をしていた」
「こんの暴力女が!まっこと難儀なやつぜよ!!」


 陸奥の胸に、ちくりと音が刺さる。持っていた缶ジュースを、きゅっと軽く握った。
 坂本は立ち上がり、ムッと陸奥を見下ろす。
 坂本を見上げてくるその瞳に、微かな動揺を感じとった。そのため坂本もそれ以上声を荒げはしなかった。


「……まぁええが。それより何しちょった?」
「な、何もしてない!ジュース飲んでただけだ」


 缶ジュースの飲み口に口をつけつつ、気づかれないよう持っていた惚れ薬の小さな袋をそっと袖の中に隠した。
 と、不意をつかれ、缶ジュースが坂本に取り上げられた。


「わしにもちょーだい」
「ちょ!い、言っとくが酒ではないぞ」
「大人が飲むんは酒ばかりと違うぜよ」


 あー喉渇いた……と、陸奥の前で特に躊躇することもなく、口を付けて飲み始める。
 あ……。陸奥は気づいたが、指摘するとこちらだけが変に意識しているようで恥ずかしいと思い。黙っていた。


「……お、お前こそ何か用事か?例の契約の詳細か?」
「んなわけあるかい。こんな夜遅くにまで仕事のこと考えちょったら頭もたんぜよ……」


 肩をポキポキと鳴らした、かと思えば、坂本は缶ジュースを陸奥へ返すと。背を向け離れてゆく。


「おい、どこへ行く?」
「決まっとる。この星のキャバクラぜよ。そっち方面も開拓せんとな!アッハッハ!!」


 下駄のカラカラとした音は、陸奥の胸をまたちくりと痛めた。
 男のことはまだあまりよくわからない。「きゃばくら」とか、そういうところへ出掛けることが明日明日の商売へ勤しむため必要なものなのだ、と。このときの陸奥はまだそう思っていた。
 だから、女遊びに出掛ける坂本を引き止めることはしない。引き止めるという発想をまだ持てないでいた。


「ちょっくら出かけてくるきに留守任せたぜよ。それを言いに来ただけじゃ」
「……ああ、わかった」


 坂本は電子の扉を掻い潜って休憩所をあとにした。
 取り残された陸奥は、はぁ……と長いため息をついたのち、視線を落としていた。
 惚れ薬の小包みを、再び手のひらに乗せ、眺めた。


「あいつ、商談が一段落する度に毎度オナゴのところへ出掛けてばっかで……」


 ここにも一人、いるのに……。


 ぎゅぅっと握りしめたその惚れ薬。
 主に飲み物などに混ぜて目の前で服用させることで効果が表れるらしい。
 老人いわく、本商品よりもサイズが小さいため効きすぎることはない。せいぜい相手の気持ちをこちらへ向けさせる、興味を持たせる、女として意識させる………そんな初期段階の効果をもたらす程度らしい。


「それくらいなら、使っても……いいかな」


 陸奥はもやもやする気持ちを振り払うよう、勢いよくジュースを飲み干した。

 ………そして、気づく。


「あ……間接…………」


 ああくそがッ!!と、再び顔を赤らめてジタバタしていた。








* * * * *


 艦内の食堂に陸奥は座っている。
 目の前には食事の載ったお盆と、コップ一杯の水。
 陸奥は待ち合わせ相手を待ちながらそわそわしていた。
 服の懐にはずっと、例の惚れ薬が入りっぱなしだった。


「これ、お忘れですよ?」


 声を掛けられた陸奥は振り返る。
 沢庵の乗った小皿を手にするオババが、笑顔で話しかけてきた。


「ああ、ありがとう」
「それで、向かいよろしいですかな?」


 陸奥が頷くと、陸奥の前の席に腰掛けようとする……。かと思いきや、オババはふと思い直し、陸奥の隣の席へ移動してにそこに腰を掛け直した。


「相談事を聞くにはこちらの方がよろしいかと」
「オババ、時間をとってすまない」
「いいえ、金剛石姫様の悩み事ならいつでも聞く準備はできております」


 陸奥は頬を少し赤らめながらも、箸をとる。
 いただきますと短く言って、皿に手をつけ始めていた。


「オババ、その呼び名はもうよしてくれないか。……私に釣り合わない」
「はぁ、でもなんとお呼びしましょう?」
「普通に陸奥でいい」


 沢庵を頬張りつつ陸奥はオババに優しくそう言った。
 オババはニコリと頬笑むと、自らも煎茶をすすりながら、陸奥に問うた。


「では、陸奥様、………恋のお悩みですか?」


 ガタッ!!
 陸奥は左手に持っていた茶碗をひっくり返してしまいそうなほど驚いた。
 が、なんとかひっくり返さずに持ちこたえる。
 そして、ホホホと笑うオババを、目を見開きつつ凝視した。


「そ、そそそそんなわけ!!!」
「ホッホ、オババにはわかりますぞ?なんといっても歳相応の経験値が違いますゆえ」


 このオババこわい!なんかこわい!
 陸奥は前々から思っていたが改めて感じさせられた。
 この人は坂本ほど、隠し事の通じない人だ、と。


「ご安心ください。他言は致しません」


 そして何より、陸奥は信頼を置いている。
 陸奥は姿勢を改めて、オババに向き直った。


「……なら、ひとつだけ。聞いていいかな」


 陸奥は自身の胸に手を当て、そこをぎゅぅっと押さえ込んだ。


「……ここが、すごく苦しい。どうすれば、治せる?」


 想うほど、痛む。今もまたこうして。


 きゅっと目をつぶる陸奥。
 そんな陸奥の横で、オババは微かに笑みを浮かべると、そっと目を閉じ、煎茶を再び少しすすった。


「治したいのですか?」
「ああ」


 話をしている今でさえ、胸が痛む。どこにもぶつけることのできない想いに辟易する。
 陸奥としてはむしろ、本人が目の前にいるときの方が平気なのだ。殴ったり蹴ったりしていれば場はもつし。向こうはモジャ頭をぽりぽりと掻きながらヘラヘラと笑う。
 それでごまかせば済む話。

 かえって、一人で部屋にいるとき。食事をとるとき。風呂に入るとき。布団に入るとき。
 頭の中で仕事のことを考える必要がないときに、いつも彼のことを考えてしまう。
 だからこそ、仕事で頭を埋め尽くそうと自棄になってくる。
 決して、周りが言うほど真面目な人間ではない。ただ、仕事さえしていれば、余計な感情に苦しまなくて済むから。時間を惜しまず商いに捧げているのだ、と。


 何も感じなくなればいいのに。
 あいつが、どこで誰と、何してようと、
 別にどうでもいいって思えれば。
 楽になれるのに…………。





「……陸奥様、恋とはそういうものにございます」


 オババの静かな言葉に、陸奥は耳を傾けた。


「そういうもの……とは」
「悩むからこそ、ふとした瞬間をとても嬉しく感じるものなのです」


 それに……と。オババは陸奥の分の湯呑みにも急須で茶を注ぎながら、穏やかな口調で諭した。


「もし、誰彼の気持ちを自由にコントロールできるのだとすれば、それはさぞつまらないものになりましょう。それは恋とは言えません」


 陸奥はどきりとした。
 惚れ薬のことを、オババには話していない。オババどころか他の隊員にも、坂本にも、誰一人口外していない。
 しかし、まるで意図が見透かされているかのようで。
 陸奥は懐の袋を、衣服の上からきゅっと握りしめ、オババに問うた。


「……¨コイ¨、そういう名の病か」


 オババは急須をことりと置き、陸奥の瞳を覗きこむ。
 陸奥は悩ましげに目を伏せて、困惑していた。


「病などと呼んで悲観する必要はありませんよ。
 陸奥様、あなたはまだお若い。気持ちを伝える伝えないの結論を焦る必要はありません。
 ……じっくり悩んでください。悩むことは決して悪いことではないし、可笑しなことでもありませんよ。
 オババが言えるのは、ただ、無理して治さなくてもよろしいですよということくらいです」
「……そうか」


 気持ちが高ぶり、貫いているはずのポーカーフェイスを崩してしまいそうであった。
 オババの差し出した手を、陸奥は両手でぎゅっと握りしめて頭を下げた。


「オババ……ありがと」


 オババは笑顔をいっそう緩めると………、


「それでは、陸奥様。オババも商人の端くれゆえ、相談料の対価を頂かねばなりません……」


 声色の微妙な変化を感じとり、陸奥はハッと顔を上げた。


 キラーン!!


 オババの瞳が例え暗闇でもはっきり見えるだろうというほどに光輝いているのを目にした。
 陸奥は思わず手を離し、椅子ごと後ずさりした。


「えっ!?オババ??」
「教えてもらいましょうか、お相手は、誰なのですか??さぁ!陸奥様!!さぁさぁ!!」


 物理的にも心理的にも迫り来るオババに、陸奥はたじろぎながらもなんとか立ち上がりオババとの間合いをとった。
 オババの口端が鋭利につり上がっていた。
 これはまずい!!陸奥の生まれながらの直感が、ここから逃げろと警鐘を鳴らす。


「そ、そんなこと言えるわけ……ッ!!」
「ホッホ、オババをなめるんじゃないですぞ!8割方検討はついておる」
「ち!違う!!断じてモジャモジャでは!!…………あ!しまっ!!」


 陸奥は両手を口元に当て、やってしまった!という顔で冷や汗を流していた。
 ほう……と、一言一句聞き逃していないオババは、納得のいった様子で不気味に微笑んだ。


「モジャモジャ………やはり」


 オババは空になった急須と自らの湯呑みとを手に、食堂の返却口へとトテトテゆっくり歩いていた。
 陸奥は固まったまま、その場を動けなかった。


「陸奥様、」


 食堂の出口、立ち去り際にて、オババは一度陸奥の方へ振り返ると、


 グッ!!


 親指を突き立て、シワくちゃの顔に渾身の力を込めてウインクを決めた。
 そして、食堂から立ち去って行った。


「………」


 陸奥は数秒間その場に立ち尽くしたまま。
 次第に冷静さを取り戻し。そして、………


「ええええ!!?ちょ!!オババぁ!?!?」


 食堂いっぱいに響き渡る声で叫んだ。
 あわあわとする陸奥。
 両手を頬に当てて、ジタバタしていると、懐に入れていた惚れ薬がぽとりと床に落ちた。


「………」


 しばらくその袋を見つめたのち、
 陸奥は、ふぅ……と。少しだけ新鮮な空気を吸って息をつく。そして袋を拾いあげた。


「……やっぱり、これは使えない」


 惚れ薬なんて使ってまで、惚れさせたいわけじゃない。
 きっとそんなことをしても、坂本は喜ばない。自分も嬉しくなどない。

 今はただ、彼のそばで懸命に仕事を覚えよう。
 仕事が板についてきてから、しっかり考えればいいか。

 陸奥は座席によいしょと座り、食事の続きをとり始めていた。
 箸が進む。オババに相談して、良かった。
 少しだけ気持ちが晴れたような気分だった。








* * * * *


「では、この段取りで」
「承りました」


 交渉成立の日から少し空いた今日、詳細の打ち合わせは陸奥一人に任されていた。
 坂本は次の商談相手を探すため同席していない旨、老人に伝えられた。
 老人と書類をやり取りしたのち、陸奥は手のひらの上に袋を置き、差し出した。


「あと、すみません、これをお返ししておきます」


 老人は目を一瞬見開き、はて?と首を傾げる。


「………使いませんでしたか」
「はい。ご厚意に感謝しているのですが……私には、やはり、必要性がないと感じました」


 薬の力に頼る必要などない。
 自分の言葉で、伝えたくなったときに伝えればいい。

 老人は陸奥から惚れ薬の袋を受け取った。


「副艦長殿、必要性ならありますよ」


 そう言って、陸奥が渡したその小さな袋をおもむろに開封する。
 陸奥は首を傾げた。


「それはどういう……」

「こういうことじゃッ!!」


 それはあまりにも突然で、陸奥は避けることができなかった。
 袋の中には毒々しい赤い粉が入っており、これが陸奥に向け一気にばらまかれた。

 陸奥は驚いて体をそらす。
 しかし、真っ赤な粉塵の微量が目から侵入してしまった。
 目を開けられないまま陸奥は机の下に倒れこむ。
 初めは玉ねぎを切ったときのような刺激、
 しかし徐々に突き刺すような痛みに変化する。

 四つん這いで、浸食する激しい痛みにもがき苦しんだ。


「き、貴様………これは………ゲホッ!カホッ!……うッ………」


 次第に目の奥から喉へと焼けるような痛みが広がり、声どころか呼吸もままならなくなる。
 ゼェゼェと荒い呼吸を短い間隔で繰り返しながら、陸奥は老人を見上げ睨み付けようとする。
 しかし、頭の上から勢いよく土足で踏みつけられ、抵抗もできない。
 その程度の痛みはもはや些細なことにしか感じられないほど、その場から動けなかった。


「ちっ……副艦長が艦長に飲ませりゃ隊も崩壊させられるかと思ったが……ひねくれた小娘じゃ!」


 貴様……ハナからこれが目的で……


 悶え苦しむ最中、眼差しだけを老人へ向けている。
 そこには、これまで穏便に交渉を重ねてきた人物とは思えないほどの酷い形相で陸奥を見下す老人がいた。
 再び靴底で陸奥を踏みつけると、陸奥は全く抵抗できず床に這いつくばり倒れこんでしまった。
 それでも老人は、杖や足底での攻撃をやめない。陸奥は悲痛に叫ぶ。


「ぐあっ!!ああっ!!」
「ずっと機会は伺っておったんじゃ。初めから結成間もないお前らとこのような高額な取引をするわけなかろう」


 腹を蹴られる度、響く鋭利な痛みに声をあげれば、陸奥の口からはついに赤い血が吐かれた。


 このままでは、このままでは………どうすれば……??


 混乱する陸奥に、老人は冷たい言葉を浴びせる。


「みっともない女じゃのう。生憎、お前の大好きな艦長は駆けつけやしないよ。他の者はここに入れんよう、手配してあるんでな」


 切れ切れに遠のく意識の中、視界が血の赤から真っ白に染まりゆく。




 そんな最中。

 ぼんやりと浮かんだ笑顔。




 ああ、どうしてこんなときにあいつの顔なんて……。
 その幻影の表情の温かさと、悔しさとで、眼尻に涙が滲んできた……。




 そのとき、だった。





「ぐわぁあ!!!」


 鼓膜を打ち鳴らす叫び声に、陸奥の意識ははたと呼び戻された。
 視界が、五感が、現実世界に戻る。

 再び視界は真っ赤に染まった。
 しかしそれは血の色ではない。見覚えのある赤い羽織。灰色の袴。
 目の前でひらりと翻るそれらが、スローモーションに見えた。


「交渉は無事に決裂じゃのう……」


 その声。土佐訛り。
 痛みの最中の陸奥は、胸が溶かされるほど安堵した。
 地に倒れ込む陸奥を庇うよう、坂本は老人の前に立ちはだかり、拳銃を構えている。
 陸奥が気づいたときには既に一発放たれたあとで。老人が腕を押さえながらその場に座り倒れこんでいた。


「き、貴様……なぜ!?」
「どうもおかしい思っちょったき」


 坂本は老人がその場から動けなくなったことを察し、下駄をカランと鳴らし振り返る。
 床に倒れたまま痛みで動けずにいる陸奥の上半身を立て膝の上に抱きかかえ、そっと小さな錠剤を手渡した。


 坂…本………?


 陸奥は声を出したいのに、出すことができない。


「陸奥、すまんかった」


 なんでお前が謝る……?
 陸奥は痛みに顔を歪めながらも、首を小さく横に振る。
 それを見て坂本は少しだけ表情を緩めた。
 陸奥の口尻に垂れていた血液を袖で軽くぬぐいながら、錠剤を口からゆっくりと飲み込ませた。


「解毒剤じゃ」
「……ど、う……して……」


 どうして毒を盛られたことがわかったのか。
 陸奥の疑問は坂本に通じたか。坂本は陸奥の頭をそろりと撫でると、全身で陸奥の体をぎゅっと抱き締めた。


「すまんかった……気づくのが遅れたき」


 耳元でそう囁かれる。
 普段あれだけ大きな声をあげるくせに、どうしてそんな掠れた声で話しかけるのか。
 胸の鼓動が早まったと、冷静に感じられる程に。陸奥の毒による症状は即効で治まってきていた……。


「あれだけの条件を揃えながら、なぜうち以外と商談が持たれてないがか………裏で組織ぐるみの違法物を精製しておったことくらい、もっと早う気づくべきじゃ。わしの責任ぜよ……」


 充血する陸奥の目のまぶたに、
 坂本は小さなキスをする。

 突然で、陸奥は驚く暇もなかった。
 まるで魔法の合図かのように、喉に続いて目の痛みも引いてゆき、充血も少しずつ治まってゆく。


「陸奥に一人で向かわせたき……嫌な予感がしちょった……。けどまさか。こんな可愛い子にそんなことするわけなか………そう思っとったわしがバカじゃった」


 陸奥の体を壁にそっと預ける。
 と、杖の尖端を坂本に向け歩み寄ってきていた老人へと瞬時に体を向け、坂本は再び発砲した。


「ぐはっ!!き、貴様……!!何をしてくれる!!」
「何しちゅうがかはこっちの台詞じゃボケが」


 容赦なく連続で弾丸を打ち込む坂本に、老人は後ずさりしながら部屋の壁に背中を預けて静止する。


「おたくの黒い繋がり、ようやく証拠が揃いましてな。これで堂々と星の警察に突き出せる」
「ハ……ハナからまともに契約するつもりなど無かったというのか。泳がせて、時間を稼ぐと」
「生憎うちは警察やのうて商売人じゃ。こんなちまい手段も商売のため。業界の嫌われ者のおたくの黒を暴く。これでうちは一定の信用を得られるっちゅうもんぜよ」


 坂本が拳銃を突き付けながら壁へ詰め寄ると、老人は両手を挙げながら許しを乞う。


「何よりもなぁ……陸奥を傷つけちゅうことだけは、絶対許さん」


 坂本は老人の額中央へ銃口を押し付けた。
 発砲せずとも、その圧力だけで老人の額から一筋の血が流れた。

 老人は痛みに顔を歪める。しかしなぜか、……ニヤリと笑った。
 坂本はいっそう眉間にシワを寄せた。


「何笑いゆうがか!」
「いえ……ただ、可笑しな二人だと思いましてな」


 黙れと低い声で脅し坂本は銃口をますますめり込み押し付ける。
 老人の額からさらに血が流れ出た。
 苦し紛れに、老人は坂本へ、挑発する。


「部下を囮に使いながら……よくそんなことが言えますな」


 その言葉は、症状が治まりつつあった陸奥の耳にも飛び込んできた。
 心臓がどくんと驚く。


「オトリ……なんの話ぜよ」


 坂本は動揺を見せないよう堂々と立ちながらも、内心少し冷や汗をかいていた。

 実際、血を吐く陸奥が目の前にいた。
 よもやまだ十代半ばの陸奥に攻撃をけしかけてくるとは、坂本は想定していなかった。
 そのせいで、陸奥が傷ついた。
 結果的に、陸奥を囮に時間稼ぎをしたと言われても否定することができない。
 だとすれば、老人だけではない。
 陸奥を傷つけたのは、自分ではないか……。


「それだけじゃぁない。副艦長殿はあなたを、根本的に信頼しておった……」


 と、老人が言葉を続けるより先に、部屋の四方八方から警察隊が駆け込んできた。
 すべて坂本が手配していた部隊である。彼らは手際よく老人を逮捕し、連行しようとする。
 老人は特に抵抗することもなく、腕の流血のみを押さえながら、警察隊に引き連れられていった。
 去り際、坂本へと台詞を捨てて。


「副艦長との意思疏通を疎かになさった。
 あなたは艦長失格じゃ……」


 老人が部屋から姿を消す。


 老人の言葉に、内容に、
 坂本は何も言い返せなかった。
 うるさい!とも。犯罪者のおまんが言うな!とも。言えない。

 だって、実際にそうなのだ。
 交渉部屋に取り残された坂本の後ろには、現に、座り込んで静かに泣きじゃくっている陸奥の姿があったから。

 ひっく、ひっくと嗚咽を繰り返すその姿は、まだ少女。
 いくら宇宙海賊の娘でも、天人でも。感情豊かな少女であることに変わりはない。


 艦長失格なのかもしれない……





「陸奥……」


 今なら股間を蹴られても、何をされても文句は言えない。
 そんな思いで、重い足取りをゆっくりと陸奥へ向ける。


「こっち来るな!!変態!!」
「へ、変態?」
「勝手にチューなんかして!バカ!クソもじゃ!!」


 その声は、涙混じりなどではない。
 三角座りで顔を膝に埋めたまま、精一杯叫ぶ声に、坂本は心を痛める。


「そ、そっちのこともすまん……完全にノリじゃ。充血した目ぇにいたたまれんくて、つい……」
「いたたまれないってどういうことだ!!」


 嬉しかったのに。
 心臓どきどきしたのに。

 謝ったりしなくて、いいのに!!
 何あんなやつに言い負かされてるんだ!!


「悔しいから……こっち来ないで!」


 惚れ薬なんて、一瞬でも使おうと考えた自分がバカだった。
 なんで私は、こんなやつを惚れさせなきゃいけないのか。
 なんで、こんな男に惚れなきゃいけないのか。


 なんで、………好きなのか。


 意思疏通なんて知らない。
 疎通しないようひた隠しにしていたのは私だ。
 坂本は何も悪くない。艦長失格なんかじゃ、ない。


「陸奥……」


 人の言うことを聞かないのがこの坂本辰馬だと、陸奥は知っている。
 来るなと言っても来るやつだ。
 心配そうに眉をひそめ、そっと寄り添う坂本の手のひらを、陸奥はきゅっと握りしめた。


「情けない、私のせいだ。私の失態だ……」


 顔を上げないまま、陸奥は言い放つ。
 坂本は首を横に振った。


「わしのせいじゃ」
「いや、私のせいだ」
「わしのせい言うちょるじゃろ!」
「私のせいだって!!」


 ギッと睨むように顔を上げると。

 そのままもう一度勢いよく、正面から抱き締められてしまった。
 陸奥はもう喉も痛まないのに、言葉を失ってしまう。


「……ごめん、今度から女遊びもちくと控えて、仕事専念するき」


 頭をさらりと撫でながら、また陸奥の耳元で話しかける。


「商いは難しいのう。なかなかうまくいかん……」


 そんな坂本の言葉は、陸奥にとって新鮮だった。


「お前がそんな弱音を吐くな。隊の皆が動揺する」


 そっと体を離し、陸奥は坂本の目を見た。
 思い返せばいつだって、隣にいた。その瞳。
 まっすぐ正面から向き合うことは、滅多になかったかもしれない。


 快援隊結成から今までの自分のことがよみがえる。
 人を笑わせるために。そう思って。人の顔を、身振りを、よく観察するようになった。
 交渉中の一喜一憂にも気を配るようになった。
 次第に、人の笑顔というものがどれだけ尊いものかを知っていった。
 だから、そのために商いをするのだというあの時の坂本の言葉の意味が。実感としてわかるようになっていった。


 けれど、見抜けなかった。


 人に惹かれてるつもりが、盲目で、
 大事なものも見落としていたのだから。



「………私は、見抜けなかった。あの老人の正体……見抜けなかった。お前より先に私が気づくべきだったんだ。気づくチャンスが、いっぱいあったのだから」


 私は、お前よりも。他人の老人のことを信頼してしまった。
 受け取った薬に、気持ちを踊らされて。
 当のお前の動きの変化も、察することができなかった。

 ちょっと考えればわかるはずだった。
 ここ最近女遊びの頻度が増えすぎであったことくらい。
 本当は、キャバクラじゃない。密偵に出掛けていたことに。
 気づくべきだった。


「陸奥……人間っちゅうんは感情そのまま表に出すわけやないき、難しい。そうゆうもんぜよ。
 やき、何もおまんが謝ることはない。わしも、おまんを騙しとったようなもんじゃ」


 ううんとカブリを振る陸奥を、坂本は撫でた。やわらかくサラサラとした髪が、指に絡まる。


「陸奥………商いをすることは恋することに似ちょる……」


 その言葉に、陸奥は不意をつかれたように目を見開き、坂本の顔を見た。
 坂本はニコリと笑いかけていた。


「振り向いてもらうまで、粘るしかないぜよ。おまんもわしも、まだまだこれからじゃ。地道に頑張るしかない……」


 陸奥は頷いた。
 商売が一朝一夕にうまくいかないことと同じ。
 特効薬など、存在しない。


「坂本、少しずつでいい。商いのこと、これからもまた教えてくれるか」


 陸奥の言葉に、今度は坂本が笑って頷いた。
 そうだ、ただ、この笑顔だけは、
 陸奥にとっての特効薬なのかもしれない。

 少々効き目の強い薬だ。
 陸奥はふと冷静になった。すると、とても至近距離で見つめられていることに今さら気づいた。

 陸奥は顔を赤らめて、恥ずかしそうに俯いていた。効果は抜群だった。

拍手[5回]

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